【上京】上京したいけど勇気が出ない人へ ~29歳で上京~【転職】東京|上京|アラサー|挑戦|
こんばんは。
嶋崎ダチュラです。
今回は上京について記述したいと思います。
結論から言うと、
上京は、して良かった。正解だった。
東京で暮らしたい!上京したい!でも。。。勇気がない。
と思っている人がいたら、是非勢いで挑戦してほしいです。
~~~~~
僕は現在は某田舎に住んでおりますが、
一度だけ上京して東京で生活していました。
僕の東京の生活は短いモノでしたが、
得られるものはたくさんありました。
当時の僕は迷走というか、失恋のショックや、
”やりたいことが分からない”
”人生に刺激が欲しい”のようなモヤモヤを抱えていました。
フィットネスを仕事にしたいボンヤリとした気持ちと、
既に東京でトレーナーとして働いていた弟からの誘いもあり、
一緒に仕事しよう!との誘いも受け、
20代の内に挑戦!という気持ちも乗せて上京しました。
≪上京する前の僕の簡単なスペック≫
・29歳
・筋トレが趣味
・大手メーカー工場勤務
・彼女あり
・年収420万(推定)
〔29歳〕
29歳という30歳手前で、安定した職を捨てて上京することには物凄く勇気が要ることでした。でも、どうにかなる精神と勢いで上京しました。
世間的には30歳で身を固めるみたいな風潮や周囲の反対意見も多々ありましたが、そういう意見は無視してました。
でも正直、都内で大物になってやる!みたいな熱もなかったのは確かです。
誰かを誘って一緒に東京に行こうとしたり、都内の求人を探している時に、待遇や条件等を優先し、軸がなかったことを覚えております。
後述しますが、それでもなお上京は価値のあるモノでした。
〔筋トレが趣味〕
趣味で筋トレしていて、ボディコンテストにも出場経験があったので、
フィットネス関係の仕事をして弟と一緒に働くための修行を!と思い、
パーソナルトレーナーの仕事を探しました。
だが中途半端なキャリア、肉体、知識では、選考落選が続きました。
そんな中ではありましたが、
何件か内定していただき、その中から小規模のパーソナルジムに入社し、
約1年半?働きました。
色々と大変なことがありすぎましたが、この経験が今現在を充実させてくれる源になったのです。
〔大手メーカー工場勤務〕
上京する前は大手メーカー工場作業員でした。
基本17時に退勤出来て、完全週休2日制、有給消化率100%、
人間関係良好、田舎で年収400万超え、
俗に言うホワイト企業の典型です。
個人的には、この会社を辞めて東京生活に挑戦した僕の勇気を、僕自身が称えたいです。
上京したての当時、何度「ああ上京しなければ良かった。」
「前の職場に戻りたい。」と思ったことか…。
〔彼女アリ〕
当時は彼女がいました。苦しくも同じ職場でした。
ボディコンテストで入賞して、その晩に告白し、
会社を辞めて上京することも伝え、その上で彼女になってほしいと伝えました。
上京したては、定期的に電話してましたが、コロナの関係で疎遠になり破局。
こういった出会いと別れを繰り返して男は成長していく。
自分にとって大切な人を見極めながら探していく男になれる。
今は東京生活で出会った、可愛くて優しくて料理上手でスタイル良くて最強・最高の彼女と真面目にお付き合いしております。
〔年収420万〕
上京する前の年収は推定420万円でした。
生活費が安い田舎で、独身にとっては全然余裕のある額でした。
ボーナスも額面50-60万円くらい出ていたので、
使いまくっていました。
上京してから260万円まで年収が下がりました。
税金も払えず家賃もギリギリ、カツカツの生活でした。
だがこの金銭感覚が、後にお金の大切さを貧乏な僕に教えてくれました。
≪上京したての僕≫
職場では人間関係に悩み、毎日が辛かった覚えています。
そりゃあ、そうだ。
ほぼほぼ情けで拾っていただいたパーソナルジム。
ましてや資格も経験も学力もない僕を拾ってくれたパーソナルジムで従事するにおいて
勉強を怠り他責な働き方をしていたのだから。
仕事を終え、泣きながら帰宅し、何も食べずに寝る日もあった。
やっとの休日も1日音楽を聴いて泣いて終わるだけの日もあった。
何故なら、次の出勤日が恐かったから。当時は本当に恐かった。
対人恐怖症になるかと思った。
「怒られるのが恐い」
「やりたくないことが多すぎる」
仕事と筋トレが嫌いになりそうでした。
弟がアパートに遊びに来てくれたとき、泣いて抱き着きました。
※「抱き着いた」は大袈裟かもしれない。
≪上京して数ヶ月が経ち≫
徐々に怒られることも少なくなり自分の成長を感じました。
仕事も慣れてきて接客業スキルが高まり、
少なからずコミュニケーション能力の向上を感じた。
僕の場合は、仕事をしたくないというより、
職場に行きたくないという方が合っていると思う。
パーソナルトレーナーの仕事としては、
色々なお客様と交流を図れるし、自分の知識をアウトプットさせてもらえるし、
人によりけりだがフィーリング次第では物凄く楽しい時間帯もある。
あっという間に時間が過ぎていく立派な仕事だと感じた。
≪パーソナルトレーナーの仕事で得たモノ≫
・人脈
これが一番大きいです。
辞めて田舎に帰ってきた現在でも連絡を取り合っているし、
一緒にトレーニングさせていただいているし、
パーソナルトレーニングも受けてもらっています。
その時間は物凄く幸せで楽しくて自分の成長を感じられる時間です。
本当に本当に心から感謝しております。
・コミュニケーション能力、話し方の改善/向上
今までは早口でコミュニケーション能力が無かったですが、
お体を預かる接客業を経て多少なりともどちらも改善/向上しました。
どちらもまだまだだけど自分で感じる・思うことが大事!
目を見て話したり、ゆっくり話したり、ジェスチャーを加えたり、
話し方に緩急を加えたり、、、。
すみません、話が逸れてしまいました。
上京についてなのに仕事について語る必要はなかった。
東京での生活は、時間が過ぎるのが本当に早く感じた。
人混みだし、人の動きも忙しない。
ついていくつもりもなかったけど、
やっぱり多少は影響されるし、ゆったり過ごせてる実感はなかった。
だからこそ、
「自分の時間」と「好きな人との時間」を
大切にしたい、しなければならない!と心から思えた。
※ここで言う”好きな人”とは、異性だけでなく人として。
この環境と職業では、どちらも満たされないと思ったから、
転職して田舎に帰る決意をしたっていうのもある。
≪お金の大切さ≫
田舎の大手工場勤務だった頃は前途にもあるように年収420万円くらいだった。
上京して年収は260万程度に落ちた。キツかった。
そこから社会保険料も自分で払う日々。
むしろ全然払えませんでした。
家賃は倍以上になり、年収は100万円以上、下がったのだから、そりゃキツイ。
「なんとかなる!」と思っていたが「なんとかならなかった^^;」
~転職して田舎に戻る~
*彼女と田舎で同棲スタート*
東京で得たモノ?が、新しい職場で活きていた。
たった1年半だが、キツかった上京生活を経験した僕に、
田舎では恐いものはなかった。
プレッシャーからの解放。
前職の環境/社員が恐かったので、
それに比べたら恐いモノ無しだった。
・周りの社員に流されない軸の構築
・効率良く仕事をすること
・就業時間以外の時間も充実させること
・ポジティブに生活すること
・大切な人とだけ向き合う
これらが自然と出来るようになっていた。
≪≪約1年半の東京生活を振り返って≫≫
ここまで読んで下さった方、本当に感謝しております。
僕の東京生活は短いモノでしたが、
本当に良い経験でした。
たかだが1年半で何言ってんの?(笑)と思う方もいるでしょう。
でも、自分が「良い経験だった」って思えることが、もう成長した証なのです。
こういったポジティブシンキングも東京生活を乗り越えて得たモノなのです。
人混み、高物価、時の流れが早過ぎる…。
このような環境の東京に完全に身を置いたり何年~何十年と暮らしてる人も本当に尊敬します。
尊敬…頑張っている人をリスペクト出来るようになった心も、僕が東京生活で得たモノの1つです。
≪≪東京生活/上京を考えている方々へ≫≫
東京は、合う人・合わない人がいると思います。
合う合わないは置いておいて、
少しでも東京生活・上京に興味があるのなら、是非、勇気を出してチャレンジしてほしいです。
*あなたには帰る場所があります
*あなたには応援してくれる人がいます
*あなたには勇気があります
*あなたには得られるモノが必ずあります
もし東京生活が嫌になったら、
転職するなり退職するなり、
田舎/実家に帰れば良いんです!
東京で友達や彼女/彼氏を作って、
田舎に帰りましょう!笑
愛と勇気が育まれれば、歴は関係ないです。
たった数ヶ月や数年で田舎に戻っても、
「東京で、少しでも頑張った!」と胸を張れば良いんです。
僕は東京生活で大切な人を見付けて、
人生の軸を確立出来て、胸を張って生きています。
今は新たな夢に向かって動いてます。
東京生活/上京に関わらず、
このブログを読んでくれた全ての人が、少しでも明るくポジティブに笑顔になれますように。
このブログを読んでくれた全ての人が、少しでも勇気を持って胸を張って生きていけますように。
最後まで読んで下さりありがとうございました。